中国 滞在メモ 中国、その二面性

中国、大連に到着し、2日が過ぎた。中国は予想外に快適だ。ニュースで見る暴動、言論東圧、兵隊は、ここでは一つも見当たらない。


今は何かの祭事らしく、市民は道路の傍の歩道で花火をあげている・・・大きな花火の音も、数時間鳴りやまない。花火がビルに当たっても、煙が車に当たっても、人々はお構いなしだ。

この状況は無邪気にも似ている。日本人として、この状況には二重に驚かされた。一つ、交通に影響が出る花火は、誰がどう考えても明らかに危険だ。二つ、ここは共産主義国家である・・・。しかし、思いも寄らず、ここには日本では既に失われつつある解放感がある。なんでもありというやつだ。これは決して、民主主義国家における「自由」ではないのだが、さもあれ、ここでの無邪気は、一つ悪い側面でありつつも、一つ自らに無音で覆いかぶさっていた圧力に自覚させられる事柄でもあった。


近年では、中国の人件費の上昇が事実として起こっているが、それはあくまで企業として、あるいは今までの比較としてのことであって、感覚的にはまだまだ人件費も物価も安い。ただ、これが2つ同時に安いのであるから、実際中国の物価は文字通り「安い」わけではあるまい。これは我々先進国が見る幻想であって、この地に住む人間にとっては、これが普通なのである。

本質、中国はこの二・三十年間で、非常に進歩している。その進歩は、盗人まがいでもあり、また他国の暴力の反動でもあっただろう。「中華人民共和国」の歴史は客観的に見て浅い、文化もほとんど死滅してしまっただろう。だが、その中でも、この中国大陸特有のサバイバル的側面、生きる為に発達した慎重さと大胆さは、「歴史」と「文化」として、脈々と受け継がれているようである。


この国に生きる人々は、明るく、力強い。それはポジティブという域を超えた、「人々との闘争で生き残るためのしたたかさ」がベースとなっている。ビジネスでも、これは変わらない。中国人のビジネスマンは、常に他人に笑顔をふりまく。しかし、彼らの笑顔は、日本人として若干ながらの違和感を覚えるものであるだろう。それもその筈である。私が思うに、彼らの振りまく笑顔は、相手の為になされた行動なのではなく、自分が生きる為、利益を得る為に作られたものであるからなのだ。二・三十年の進歩の中で、恐らく、彼らはこれまで、今と同じように笑顔を振りまいてきたであろう。日本のような愛想笑いではなく、力強い、しかし乾いた笑顔である。この重みというのは、我々にも学ぶところがあるだろう。彼らは何を見て笑っているのであろうか?


この国は巨大だ。その広い国に、13億人もの人間が居る。ビジネスマンは今日も乾いた笑顔を振りまきつつ、貪欲に技術を得ようとしている。

何にせよ、恐ろしい二面性である。共産国家だというのに、街の様子はまるで自由経済圏である。陰鬱なイメージを持たされる反面、実際の街はそんなことお構いなしといった感じで祭りを楽しんでいる。道路わきはビルで埋め尽くされているが、全くと言っていいほど内実を感じさせない。人々は笑っているが、私と笑いを共有しているわけではない。


巨大な国を名乗りつつも後進国と自称し、共産国を名乗りつつ自由主義経済を行い、発達はしているが未熟でもある。「未だに」未熟なのか、「まだ」未熟なのか。ともかくこの国は、一般的な、我々が思う「筋道立った考え」というのに、ほとんど合わないところのようである。

 

*これは私が中国に行った際に書いた日誌を、そのままアップしたものです。

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