友人とゲームをしようとskypeを起動すると、アップデートの告知が。これはもう5・6年以上嫌な予感しか与えないのですが、どうせ無視してもしつこいので致し方なくアップデートをします。しばらくまってアップデートが終わり、skypeの画面を起動すると、どの友人がログインしているのか分かりません。「やられた!」skypeの開発部が私のskypeにアップデートという名のウィルスを送り込んできたのです。「また使えないゴミになるのか。」そういう乱暴な言葉を吐き出し、イライラしながら私はLINEを起動しました。

アニメのサントラのCDを買って、iTunesからIphoneに入れようとしました。8・9年前はCDを入れて、IPodにつなげるだけでよかった。ところが今ではやたらとワケの分からん確認文章が飛び出してきます。まるでその機能を使うのをやめさせようとするがごとく。iTunesは、年々素晴らしいぐらいに使いづらくなっております。


どうして大企業のソフトは年を重ねる毎にダメになっていくんでしょうか。ダメになるならアップデートはしない方がマシなのではないでしょうか。彼らはアップデートをしないと死ぬ病にでもかかっているのでしょうか。「新機能」を続々と打ち立て、ソフト自体を使いづらくしている。いつしか信号機の色が3色なのは「古い」から、透明度を加えてみました、とか、そういうレベルのナンセンスなこともしてしまいそうな勢いです。

何ごとにも必要なものと必要でないものがあります。毎年毎年新しいだとか新機能だとか、アップデートだとか、そういうものが必要のないところにまで入り込むのは、消費社会の悪いクセでありましょう。skypeもitunesも、開発陣が発狂したのでない限り、こんな使えないソフトにしたのは常々更新をしなければならないという強迫観念のなせる業なのかもしれません。なんにせよ私がSkypeに望むことは「通話」であり、iTunesに望むことは「音楽を聴く」ことなのに、やれキャプチャだのクラウドだの、新機能を付け加えては本来望んでいる機能を使いづらくしている。年々、このソフト達は機能を追加するでしょう。あげくに機能のミンチになるかもしれない。付け加えるべきこと、消すべきでないことのラインをハッキリとさせるべきです。そうすれば、少なくとも、アップデートをするたびにゲンナリされることはなくなるんじゃないでしょうか。


タイトルにもありますが、ちょっと他のところを見てみましょう。毎年缶コーヒーやカミソリは「新しく」なっています。どんなことを言っているのか。「全く違う、缶コーヒー」「缶コーヒーは新しい時代へ」、こんな感じです。カミソリのほうはもう、「去年+1枚歯で剃り残し0へ。」と書いておけばほぼ全部に当てはまるでしょう。いくら私が馬鹿だからといって毎年同じうたい文句を使っていればそりゃあ覚えます。「去年の缶コーヒーはマズい」「去年のカミソリは剃り残しがある」こういうのを毎年続けていけば、いつだって缶コーヒーはマズイしカミソリは剃り残しが出るものだということに気が付きます。

で、思うにこういう馬鹿げたウソ、つまりどれだけ待ってもマズイ缶コーヒーと、あいかわらず剃り残しをしてくれるひげ剃りも、去年の商品との差異性というのを明確化する為にこういうものを打ち出している。それにしたって味や機能は単一なもんですし、そんなすぐに技術が飛躍するわけでもないので、こっちは味や機能の変化は据え置き、イメージで勝負しているわけです。最終的にはコピーライティングの勝負になりますが、消費者を引き付ける魅力的な要素として否定はできないものの、CMを見てると全然関係のないことを言ってのけてたりします。車を買い替えただけで新しい人生になるわけがないでしょう。目を醒ましてください。


ちょっと前、まだ携帯がガラケーで白黒の時代、携帯は和音で争っていました。3ワオーン!とかいって犬が泣いたかと思えば、16和音か32和音で聞いた音楽がさも新しい世界を開いたかのように啓示していた。それに飽きると今度は画面に色が付きカメラ機能がどうとかいって、楽しげな一家団欒の風景を今となってはショボい画質で撮りつつ、その機能を神格化する。確かにその時代、そういう機能は新しかった。しかし、5年10年とCMを見てれば、どんな機能がついても飽き飽きとしてきます。本当に革新的だったのはIphoneでしょう。もう我々は携帯で一度、陳腐な進展と本物のイノヴェーションの違いを見せつけられている。

Skype,iTunesにしろ、缶コーヒーやカミソリにしろ、まぁ忙しいものです。これらに総じて言えるのは、イノヴェーションのない界隈は陳腐なものになるということです。それでも企業としては生き残らなければいけないから、要らない機能をつけたり、毎年去年のことを卑下したりする。機能の進展自体はよろしい。しかしもう少し冷静になれないのか。消費者として、ないしは一個人としてそう思います。馬鹿げた騒乱です。