フルハさんとの会話の中で学習の話題になった際、フルハさんが私の学習方法に興味をもっていらっしゃったので、僭越ながら、ちょいと自分の行ってる学習方法を紹介してみようと思います。尚これは受験にでも役に立つかもしれません。責任は負いかねますよ。HAHAHA.


一応この学習方法での成果で目立ったものをいうとすれば、私はこれを行うことで高校範囲の英語は3か月で終わらせることができ、また哲学を勉強した際には一年でプラトンからニーチェの主要な文献を読み進めることができました。その他いろいろ物事を知っていきましたが、私は一般に行われている学習方法だと、ほとんど本の内容を覚えられないであろうということは、個人的に断言できます。私の行っている学習方法は一般のものと随分と考えも方法も違いますし、あまつ社会的に見れば「怠惰」なものです。今回から色々書きますが、申し訳ないことにあまり体系化されていないので、ご質問やコメント等をみつつ、内容は適宜決定していこうと思います。

この記事は30分ぐらいで書いたので走り書きですが、ひとまずこういう事柄に関して文を書くということを勢いづけるためにも、一旦アップさせてもらって、後々推敲していこうと思います。(なのでもしおかしなところがあっても、生暖かい目で見てくだされば幸いです。)

 

今回のお題は「学習とは何か」です。

 


学習とは何でしょうか。これを追う為に、一つYPに身近な例から入りましょう。

5年、10年と遊戯王を続けていると、覚えているカードの枚数や効果、コンボは相当なものになるはずです。一日100枚のカードの効果を覚えることも可能でしょうし、悪くても「なんかこういう動きだった」というのは覚えられます。しかし我々はこと英単語となると、一日10単語でさえ足踏みしてしまう。何故でしょうか。

私は講師をしていますが、仮に遊戯王好きの生徒を担当したとします。(事実そういう子は何人もいましたが)彼は勉強に関して進みが遅いことを悩んでいたとしましょう。私はひとまず、こう尋ねます。「サイクロンの効果を覚えてるか?」勿論彼は覚えています。では「神の宣告の効果は?」覚えています。「最近のテーマで強いと思うデッキ、それらに対するメタは知ってるか?」これに関しては往々、彼らは私よりよく物事を知っています。それでつい私も関心しながら環境への対策を聞いたりします。


で、10分かそこら経った時、私はこう尋ねます。「遊戯王のカードをそんだけ覚えてるのに、英単語が覚えられない理由はなんだと思う?」

あくまでフレンドリーに、単なる疑問として投げかけるというのが私の務めです。事実、私は単に疑問として投げかけています。そういうと彼は「う~ん・・・」と考えたのち、「それは僕が遊んでばかりだからだと思います」と言うのです。


事実でしょうか?あるいは事実のこともあるでしょうが、私が聞きたいのは、遊びでは覚えられるような内容の、しかもそれ以下の情報しかない事柄を何故自然に覚えられないか、です。そこに態度はあまり関係ありません。遊戯王レベルで英単語を覚えられるなら、そんなに時間はかからないはずなのです。それで私はこう切り返します。


「ぶしつけな話、お前が英単語を覚えられないのは、英単語が遊戯王よりつまらないものだからだと思わないか?」(あくまでフレンドリーに、純粋な疑問の投げかけとして)

そういうと彼は一瞬ハっとした顔をした後、笑い始めます。「先生がそんなことを言っていいんですかw」

私はごく真面目なんですが、やはり普通はこういう反応が返ってくる。彼はこう思っているでしょう。「だって遊戯王は遊びで、英単語は勉強なんだから、仕方ないじゃん。」しかし彼は同時にこう思ったかもしれません。「そういう理由でいいのか。」


私が思うに、遊びと勉強の垣根を分ける事柄は、それが社会的に承認されているか否かということに尽きます。

ですから私はゲームオタクさんは皆、何かを学ぶことが得意な人だと思ってますし、大学の教授さん方は「幸運にも」自分のオタクっ気が社会的効用に適していた人たちだと思っています。そこに本来垣根はなく、他人から求められるか、求められないかの差異しかありません。学びとは何らかの知識を自分のものにすること、それ以外でも以下でもないとするならば、格ゲーだって遊戯王だって一種の学習なのです。サッカーや野球は遊びであると同時に、立派な職としても成り立ちます。本来遊びと学びには、ごく主観的な観点からすると、垣根はないハズなのです。


それでもう一度この問に戻ってみましょう。「遊戯王のカードをそんだけ覚えてるのに、英単語が覚えられない理由はなんだと思う?」

何故でしょうか。社会的な評価とか、他人の目とかを外して考えてみてください。仮に遊戯王のカードに英語が登場すれば、その単語は即座に覚えられることでしょう。YPだったら、ちょっと調べたらブレイクスルーの語義だとか、Construct(構成=ネフィリムの英名)、declare(宣言=聖バリの処理やパーデク)とかいう単語は一発で覚えられます。しかしCongress(議会)、unconsciously(無意識に)、Object(物体)という英単語を覚えるとくれば覚えるのに苦労します。概念的な抽象度が多少影響するとしても、明らかに自分の興味のある事柄から覚える方が効率がいいでしょう。私はそれこそが学習を左右する一大要素だと思っています。

で、結局私が思う大きな要因はこうです。「英単語が覚えられない理由は、それが面白いものでも、興味があるものでもないからだ。」


「それは僕が遊んでばかりだからだと思います」。いいんです。遊びの中で英語を覚えることも不可能ではありません。

「先生がそんなことを言っていいんですかw」社会体面的にはよくありません。しかしぶっちゃけそういうことではありませんか。

そして「だって遊戯王は遊びで、英単語は勉強なんだから、仕方ないじゃん。」いいえ。貴方に求められていることは英単語を「覚えること」であり、「見た目上真面目にやること」ではありません。遊戯王が遊びで、英単語が勉強だとして、それが学習の差異に影響を及ぼすのだと思っているのなら、英単語を遊びに転嫁したほうが効率がよくありませんか?


・・・端的に述べるなら、私は勉強というものは総じてつまらないものだと思っています。そしてそれ以上に覚える際にすこぶる効率の悪い形式だとも思っています。

勉強とは本来、「無理にでも努力して励むこと」です。私はこれが極端に嫌いなんです。後々書く予定ですが、私は何かを学習する際、それが勉強だと(つまり強制的にやらされるものだと)いう状況になることを一切避けています。ですから私は今まで高校で学ぶ範囲は勿論、哲学、社会学、史学、経済学、心理学、ウェブ、福祉学等、多岐にわたる事柄を「学習」してきましたが「勉強」したことはありません。全部自分が好きだからやっているのです。そうした方が何倍も効率が良いことになりますし、何十倍も気が楽になるということは皆さん共感して頂けるのではないでしょうか。


ここまで読んでくださった皆さんは、半ば呆れを伴った怒りとともに、こう思ったかもしれません。「それができりゃあ苦労はしねぇよ!」

その通りです。何事にも苦労はつきものです。でも、どっちみち苦労することになるなら、根本的なところで苦労した方が、あとが楽なのではないでしょうか。

ちょいと長くなってきたので、今回はここらでいったん区切りをつけます。